今朝、代官山iスタジオで「犬養孝生誕100年回顧展」というのをやっていたので見に行ってきました。犬養孝は、万葉集の研究の権威で、大阪大学や甲南女子大学などの教授として50年以上にわたって研究にたずさわってきた人です。
展示室にあった年譜によると、犬養孝は1907年4月1日に東京で出生し、熊本の第五高等学校にいたときに初めて万葉集と出会い、その美しい言葉、躍動的なリズム、表現力豊かな心象風景などに魅惑されたといわれます。
1932年に東京大学を卒業後、神奈川県立横浜第一中学校(神中)に奉職し10年間教鞭をとりました。そのあと台湾に移って台北高等学校の教授となり、数多くの学生を教えました。教え子の中には、後に台湾総統となった李登輝氏もいたとのことです。
終戦後、台湾は日本の領土でなくなったので、帰還船で内地へ帰り和歌山に上陸しました。そして、万葉集の歌の宝庫である関西に居を構え、1950年には大阪大学で教えることとなり、そのころから、万葉集を理解するために実際に現地を歩くという研究スタイルを確立させていったそうです。その考え方に学生たちは共鳴し、万葉集の故地を歩くツアーを提案しました。これは「大阪大学萬葉旅行」として、犬養が1992年に死去するまで50年近くにわたって250回以上も続けられました。この旅行の参加者は延べ4万人以上で、私もその中に含まれています。
犬養の万葉集研究は多くの人に影響を与えました。論文や著書を書くほかに、衒学的な学問としての文学になじみのない一般層に対して万葉集を広めることにも努力しました。万葉集の一首ずつに独自の節をつけ、それを人々の前で朗誦することにより、万葉集を一般向きのものとしました。犬養の"布教活動"は多くのアーティストに影響を与え、歌手のペギー葉山や、「天上の虹」を描いた漫画家の里中満智子も、すべて犬養孝が原点です。
これらの業績は多方面から評価され、1978年には勲三等旭日中綬章を受章、翌年の歌会始には宮中に召され、昭和天皇の御前で歌を読み上げられました。またその年の12月4日には、奈良県明日香・甘樫丘の上で昭和天皇をお迎えし、御進講を行いました。1987年には文化功労者に叙せられました。そして、死去した1998年10月3日には、正四位勲二等瑞宝章が追贈されました。
私は学生のときに萬葉旅行でこの犬養先生にお会いしたことがありますが、非常にフランクでフレンドリーでユーモラスな方だった記憶があります。実際に犬養先生と接した期間は犬養先生の人生に比べればごくわずかの期間なのですが、非常に多くの記憶が残っているような気がします。
回顧展の模様をFlickrにアップしました。