June 2004 アーカイブ

残業を終え、会社の人たちと呑みに行った。

高架下のとある洒落たイングリッシュ・バーに入り、メニューを見る。「天国への階段」という名前の、オリジナルカクテルを見つけた。アブサンがベースの、強烈な香りとアルコール度数のカクテル。とはいっても本物のアブサンではなく、ペルノーを使っているそうだが。

アブサン……ニガヨモギを主成分とする、禁断の酒。常用すると神経系が侵され「アブサンティズム」と呼ばれる幻覚を伴う中毒になるという。退廃的な雰囲気の19世紀ヨーロッパでは、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、モネ、ヘミングウェイなど多くの芸術家がこの味に魅せられ、そして廃人になったという。いまでは製造が中止され、代用品としてアニスという薬草が主成分のペルノーにとってかわられた。

さてそんなアブサン(ペルノー)のカクテルだが、居合わせた面々は一口でみんな天国に逝ってしまったようだった。

盛岡市で、大学の名誉教授の83歳の男性が自宅に訪れた下水道工事の訪問販売員に日本刀で斬りつける事件が発生した。

そのためこの名誉教授は殺人未遂罪で逮捕されることになったのだが、僕に言わせれば、お年寄りを食い物にする悪徳訪問販売の連中を成敗して、表彰こそされ、なぜ逮捕などされなければならないのか。

むしろ、「あっぱれ、サムライ!」と快哉を叫びたいくらいだ。

訪問販売によるトラブルが問題となっている。シロアリ駆除・高級ふとん・リフォーム・新聞・生命保険・消火器・健康食品・化粧品・宗教……彼らはいきなり自宅を訪ね、口八丁手八丁、はては脅迫まがいの口調で契約を迫る。こんな連中は斬り殺されて当然なのである。

そもそも、飛び込みのセールスが許されているのは、世界でも日本だけである。欧米先進国なら、他人の私有地に無断で立ち入れば、たちどころに射殺されても文句は言えないのである。

訪問販売を装った強盗事件も懸念される。このような形態の販売方法は、ただちに法により規制されるべきである。

この日はフライトの関係上、いつもより早く起きなければならなかった。

急いで朝食を取り、チェックアウトをしてバスに乗る。

チャンギ国際空港で出国手続きをし、出発まで免税店をめぐる。

ここの免税店は、化粧品やタバコ・酒はおろか、電気製品、はてはパソコンまで売っていたりして、世界一ともいえるほど品揃えが充実している。僕は昨日買った携帯の充電器の電源変換アダプターを買った。

0945SIN-1735NRT
機内食を2回いただき、特に何事もなく成田まで戻ることができた。

シンガポールではどこに行っても英語表記がデフォルトだったが、成田に戻ってみると、周辺は日本語だけの表記が幅を利かせている。ここは日本語の国なんだなーという思いを強くさせられる。それでも先進国の一つとして世界と対等に勝負できるということは、日本がそれだけ強い国ということなのかもしれないが、外国人を積極的に迎え入れる姿勢という点において彼我の差を感じさせられた。

この日は、展示会の見学も午前中で切り上げ、午後から2~3人を誘ってどこかに行くことにした。

とりあえず、2時にホテルのロビーで待ち合わせることにして、それまで各自自由にショッピングということに。

さて僕は近所の携帯電話ショップに出向き、手ごろなGSM端末があれば土産代わりに買って行こうかと思って物色していると、店員の兄ちゃんがやってきて、商品を取り出して説明を始めた。「GSM端末はNOKIAが一番使いやすいよ」と言われていたので、NOKIAを出してくれと言ったが、どれもS$600(42000円)~S$1000(70000円)ぐらいするので、携帯を買うのはあきらめ、bluetooth対応の携帯電話用ヘッドセットを見せてもらうことにした。

「こっちの安いほうの値段がthree thirty、高いほうがfive fiftyだよ」と店員の兄ちゃんが言う。なんだ高いのでもたったのS$5.50(385円)か!と思い、即座に「買った!」と言ってクレジットカードを差し出す。

店員がカードをカードリーダーに通し、印字されてきたカードスリップを「ここにサインして」と言って持って来たのを見ると、金額が「$550.00」(38500円)となっている。桁が2桁も違っているので、僕は「これは高すぎる!やっぱりやめた」と言うと、店員は
「買うって言ったじゃないか!」
と言って譲ろうとしない。

遊機「いや、five fiftyって、5ドル50セントだと思ったものだから......」
店員「bluetoothのデバイスが5ドル50セントなわけないだろ! とにかく一旦カードを機械に通しちゃったから、いまさら取り消しは効かない」
遊機「うーん、困ったなあ......」
店員「じゃこうしよう。さっきの600ドルって言ってたNOKIAの携帯、あれを550ドルで売るから。ウチはちょっと損するけど、never mind。さあ、ここにサインして」

なんか後味悪かったが、まあもともと携帯を見に来たということもあるし、NOKIAの携帯を50ドル値切って買ったと思えばいいか、と思って、それで手を打ってサインすることにした。

手に入ったのはNOKIAの6610i。メガピクセルのカメラ付き。モノとしては悪くない。さっそくレンタル携帯からSIMカードを移し変えて、電源ONしてみた。ちゃんとSIMカードを認識して電波も拾っていたので、これからはこの携帯を持ち歩くことにした。

さて2時になったので、ホテルのロビーで待っていると、ロビーから呼び出しがある。ショッピングしていた、一緒に行くはずの人たちから電話が入っているとのことで、受けると、
「すみませーん、買い物終わらないんで、せっかくですけど今日は全員キャンセルさせてください」
とのこと。

さきの携帯買わされ事件とこのドタキャン事件とのダブルパンチですっかり打ちひしがれてしまったが、いつまでも引きこもっているわけにもいかないので気を取り直して一人で観光することにした。

とりあえず、マーライオンでも見に行くか、ということで、地下鉄に乗り、Raffles Placeという駅まで行く。そこで地上に上がると、運河が見えた。運河沿いの風景は美しくて良かったのだが、肝心のマーライオンが見当たらない。ガイドブック片手にあっちこっち歩いていると、5分ほどでたどりつくことができた。

マーライオンは、世界三大がっかりスポットといわれるほどつまらない場所といわれるが、実際に見てみるとそれほどがっかりというわけでもない。さしずめ、お台場の自由の女神のような感じである。下の写真のように、マーライオン君が海に向かって海水を噴き出している。

Back of Maarlion

近くに、桟橋のようなものが突き出しており、そこの先端からマーライオン君の正面を見た写真がこれ。

Marlion

人も少なく、対岸には島があったり、高級ホテル群を臨み見たりできるので、雰囲気的には決して悪くない。神戸の中突堤のようにマターリとした感じといえるかもしれない。

僕は、缶のTiger Beerを買い、近くに座って飲みながらぽけーっとしていた。

時間に追い立てられながら観光地をめぐるよりも、こうやってぼーっとしているほうが、最高の贅沢といえるかもしれない。

朝は、8時過ぎに朝食。とはいってもシンガポールと日本とでは時差1時間なので、日本時間にすると朝の9時過ぎということになる。毎日6時起きが習慣の僕にとって、とても9時まで寝てられるものではないので、いつもシンガポール時間の朝5時過ぎには目が覚めてしまう。

ゆっくりと朝風呂につかり、TVをつける。シンガポールのTV局はMediaCorpという局の1局しかなく、あとはCNNとか近隣のマレーシアの放送局などが映る。NHKの放送チャンネルもあった。東京の放送と変わらない。こういうのを視ると、外国に来た気がしない。なおエッチな有料放送はシンガポールでは認められていないのか、探してもどこにもなかった。

TVを視ても飽き足らず、ホテルの外をお散歩することに。早朝だというのに外に出ると相変わらず蒸し暑い。背の高い名前のわからない熱帯樹から落ちた怪しい大きな木の実が道路上で弾け散り果肉をさらしていた。

York Hotel York Hotel

近所にセブンイレブンがあったので、入ってみる。中は日本のコンビニとあんまり変わらない。マレーシア製の怪しいさとうきびジュースを買う。350ml入り1缶S$1.35(95円)。昨日の屋台の缶ジュースは1缶S$2.50だったので、ひょっとしたら昨日はボラれていたのかもしれない。そういえば屋台のオヤジ、「Japanese?」とか聞いてやがったもんなあ。

朝食はホテル内のバイキング。あまり美味い食事ではなかったが、バイキングということでついつい食べ過ぎてしまう。

9時過ぎ、お迎えの「南無阿彌陀佛」バスに乗って展示会の会場へ向かう。

展示会会場は「EXPO」という地名で、チャンギ国際空港の近所にある。法律で空港に近いところには住宅を建てられないことになっているので、空港周辺の一帯はこのような国際展示場や、日本郵船などのコンテナヤードで占められている。

EXPO

展示場の建物を入ったところでレジストレーションをすませ、各人の名前と所属が印字されたプラスチック製の白い名札と、それを入れる透明なケースを受け取る。ケースにはストラップがついていて、場内では名札をケースに入れて首から提げて歩かなければならない。

ニシ・キヨミさんという女性が現地の通訳担当として同行する。彼女は12年前に会社の仕事の関係でシンガポールにわたったきり、現地で結婚しそこに住み着いてしまったのだという。

場内に入る前に、そのニシさんから簡単な注意がある。「私はここの入口の近くに立っていますから、通訳が必要なときは言いに来てくだされば同行します。あと、写真についてですが、撮影してよいのはこの外側までで、ここから中は撮影禁止になっています。展示ブースの説明員の方に一言断って、そこの写真を撮ってもよいと言われたら、そこだけは撮ってかまいませんが、それ以外のブースでみだりに写真撮影することは控えてください」

写真撮影だけでなく、服装についてもきちんとしたものでなければならないと入口に書かれており、ショーツ姿やサンダル履きなどのカジュアルな服装では入場を断られるとのこと。そのあたりの厳しさは、いかにも管理国家シンガポールらしい。

Communic Asia 2004

ひととおり注意事項の説明を受けたあと、私たちは場内に入って、めいめい自分の興味のある分野について自由に展示ブースを回る。

さて今年のCOMMUNIC ASIAの大きな目玉としては、モバイル関連、とりわけ携帯電話の躍進が目に付いた。ほとんどのブースで、携帯電話端末の新製品紹介が中心だったのである。

アジア地域の携帯電話のシステムは第二世代であるGSM方式が主流である。GSMはヨーロッパの郵政・電気通信主管庁会議(CEPT: Conférence Européenne des Postes et Télécommunications)を中心に規格化されたもので、もともとフランス語のGroupe Spécial Mobileの略称だったのが、世界進出にあたって英語のGlobal System for Mobile communicationsという言葉があてられるようになった。

日本の携帯電話業界は、携帯電話事業者主導で走ってきた経緯があり、各事業者が電話機端末の細かい仕様まで決めているので、日本で携帯電話を使うときはまず事業者と契約してから、その事業者が扱っている電話機を選んで購入する形になっている。別の事業者を契約したときは、電話機も新しい事業者の扱っているものに変えなければならない。また電話機の属する事業者以外の電波を、同じ電話機で受信することはできない。

それに対して、GSM端末はその仕様が共通化されているため、電話機メーカーはその仕様の範囲で思い思いの電話機を製造することができる。電話機の購入と事業者の契約とはまったく独立したものであり、携帯電話を使いたいユーザーは携帯電話事業者の発行する親指の爪ほどの大きさのICカード(SIMカード)を購入もしくはレンタルする。このSIMカードの形状は統一されていて、ICチップに電話番号などの識別情報が埋め込まれている。そのSIMカードを電話機に装着して電話機の電源をONすると、その地域で受信できる事業者をサーチして、最も適切な事業者を選択して電波を受信する。その電波は必ずしもSIMカードを発行した事業者である必要はなく、電話機を使う地域の事情に応じて最適な事業者が選択される。このため、GSMのカバーするエリアの範囲内であればどこの国に持って行っても、どの種類の電話機であっても、自由にローミングして使うことができるのである。GSMのエリアは、アジア諸国(韓国は除く)のほか、欧州、中東、アフリカ諸国など多岐にわたり、携帯電話の事実上のスタンダードとなっている。

GSM方式は電波の周波数帯域を多く消費し、日本のPDC方式などに比べ周波数利用効率などの点で必ずしも優れているわけではない。人口密度の極端に高い日本のような国ではPDC方式のほうがはるかに分があることは疑いないのだが、日本の狭い国内に閉じた標準制定にのみ配意して海外展開をなおざりにしているうちに、海外ではGSMにすっかり覇権を握られた形となってしまった。技術は優れていても政治的に弱い日本を示す好例といえよう。

街を見渡してみると、若者たちはどこででも携帯電話を取り出して気軽に会話している。地下鉄のホーム上は言うに及ばず、駅間のトンネル内でも電波が途切れないので、電車内で通話している人も多い。マナーにうるさいどこかの国のようにそれを咎めだてることもない。そんな国では、携帯電話でメールを打っている人はほとんど見かけず、通話がメインの使い方である。

ショートメッセージ(SMS)の送受信は可能だが、相手の電話番号を指定して送信する形しかなく、日本のようにインターネット上のメールアドレスにも送ることのできるEメール通信というのはまだないらしい。最近の機種では、メッセージに静止画や動画などを添付できる、マルチメディア・メッセージ(MMS)に対応していることを売りにしていた。MMS対応で、メガピクセルのカメラ付き携帯というのがアジアでの最先端で、COMMUNIC ASIAの展示でもそれを強調しているものが多かったように思う。

SMSについて面白いと思ったのが、展示会場の外に置いてあったジュースの自動販売機で、そこに書かれている電話番号にショートメッセージを送ると、その自動販売機からジュースを買うことができるようになっている。ジュースの代金は通話料と一緒にあとで課金されるようだ。

Coke vending machine Coke vending machine

送信メッセージを入力したり、電話機の電話帳機能を使ったりする場合、電話機のキーを押すことでテキストの入力・編集をすることになる。つまり、電話機用の入出力インタフェースシステムを開発しているメーカーも当然のことながら存在する。カナダに本社をもち、北米、アジアにオフィスを展開するZi社は、eZiTextと呼ばれるテキスト入力システムを開発し、それを各社のGSM端末にインプリメントしている。GSM端末では文字の入力の仕方が日本と少し異なっている。たとえば、「east」という単語を入力する場合、一文字目の「e」という文字は電話機のキーパッドでいえば「3」キーの上にある。「3」キーの上に載っているアルファベットは「def」なので、「e」と入力するためには、日本の電話機であれば「3」キーを2回押すところだが、GSM端末では1回でよい。どの文字を入力する場合でもキーを押すのは1文字につき1回で、「east」と入力するためには「3278」と押せばよい。そうすると入力システムのほうで、入力された「3278」という数字から対応する文字の組み合わせをみて、そこから意味のある単語を判断しその候補が表示される。もちろん「east」だけではなく「fast」というのも考えられるので、候補は複数になるわけだが、電話機の矢印キーを上下させながら選択し、最後に「OK」キーを押すと入力単語が確定する。長い単語の場合は、最初の数文字を入力すると自動的に入力補完されて候補が表示される。Zi社のeZiTextはノキア、モトローラ、サムソンなど主要な電話機にはほとんど採用されているということである。

携帯電話端末はまだまだ第二世代であるGSMが幅を利かせており、第三世代のCDMA方式に移行するのは当分先のようである。シンガポールではSingTel社が「Be the first to 3G」というスローガンを謳っており、今年中にはCDMAのサービスを開始するということだが、既存のGSMからCDMAに完全に移行するのにはなお数年を要するだろう。COMMUNIC ASIAでもCDMA端末を展示していたメーカーは京セラ、サムスンなど一部の有名企業に限られ、それ以外の小規模メーカー、特に中国のメーカーにいたっては僕の見た限りでは皆無であった。

さてVoIP関係で飯を食っている僕なので、今回のCOMMUNIC ASIAでもVoIP関連の展示に非常に興味を持っていたのだが、残念なことに、VoIP関係の展示をしているのは、Lucent Technologies社やSIEMENS社などわずか数社がPC、PDAなどから利用できるIP電話のアプリケーションのデモをしているにとどまっており、目新しいものは窺い知ることができなかった。

ネットワーク系のIP化、つまり既存のPSTN電話網をIP網にシフトしていくというのは、世界的な流れとして各方面で検討されているのだけれど、アクセス系まで含めてトータルにIP化するソリューションを進行させているのは今のところ日本だけのようである。今後、その形態が世界的に広まるかどうかは未知数だが、少なくとも今の時点では、VoIPに関してはアジア地域では時期尚早というのが見た限りでの印象である。

昼食は展示会場内にカフェテリアがあり、入口で金券を買ってから、中で金券を払うしくみになっていた。現金で直接払わないのは、衛生上の理由なのかもしれない。

シンガポーリアン、チャイニーズ、マレーシア、インドなど各国料理が揃っているところなど、さすがは多国籍国家シンガポールだ。僕はマレーシア料理のカウンターに並び、怪しいカレーのようなものを注文した。そのあとジューススタンドに寄ってスターフルーツの生ジュースを頼んだ。それでも喉が渇くので、最後にコカコーラを注文。これだけできっかりS$10(約700円)。

もちろん展示といっても堅苦しいものばかりではなく、ビンゴゲームや、ダンスショーなどの余興もちゃんとある。下の写真はタイの通信キャリア・TOT社の民族舞踊である。

Dance Performance at Thailand Booth

3時ごろまで展示場を見て回ると、さすがに足が棒のようになってきたので、地下鉄に乗ってホテルまで戻ることにする。

Singapore MRT

地下鉄は紙の切符ではなく、日本のsuicaのようなプラスチック製のICカードをデポジットS$1.00で借り受け、そこに運賃をチャージするしくみになっている(券売機では、デポジットS$1.00+運賃分の料金を払うことになる)。運賃がチャージされたカードを改札機の読み取り部分に「tap(かざす)」して改札を入り、出たところでも同じようにカードをtapして出る。カードは一度使うと再チャージ不可なので、使用後のカードは券売機でデポジットの払い戻しを受けなければならない。

地下鉄の駅はアメリカのように暗くなく、日本と同じ明るさ。車内も清潔だ。ただシートが球場の外野席のような硬いプラスチック製だったのが日本と違うところである。

ホテルに戻り、さて夜はどうしようか、せっかくだからマレーシアの国境近くまで地下鉄かタクシーかバスで行ってそこから歩いて国境越えしてジョホールバルまで行こうか、でも下手に出国してシンガポールに再入国できなくなったりしたらヤバイなーなどと考えつつ悶々としていると、携帯が鳴り、
「事務局の人と一緒に飯食わない?」
という部長さんの有難~いお言葉。もちろん2つ返事でOK。コンチネンタルホテルで部長さんと事務局の女性と3人で和やかにフレンチをいただいてきた。

会社の研修という名目で、シンガポールに3泊4日の出張に行ってきた。シンガポールで開かれる「COMMUNIC ASIA 2004」という展示会を視察するというのがその目的である。この展示会はIT関係ではアジア最大のものとして1979年から毎年ここシンガポールで開催されているもので、昨年はSARSの影響で中止となったため今年は実に2年ぶりの開催とのことである。

ここで、シンガポールという国について簡単に紹介しておかなければならない。シンガポールは、マレー半島の先端部分に位置する島国で、わずかに東京23区程度の広さのところに約300万人が住んでいる。良質な港をもち、位置的にも東アジアとインド洋とのトランジットポイントという特性から、戦略的に重要な拠点として昔から注目されており、第二次大戦中は日本に占領されていた時期もある。

戦後はマレーシア連邦の一部となったが、1965年に独立してシンガポール共和国となった。独立国としての歴史はわずか40年足らずのまだ若い都市国家で、天然資源が全く無く、農産物の輸入率100%であることに加え、水までマレーシアから輸入しているありさまの、そんなシンガポールが国として生きていくためには、周辺諸国との通商、交易によるしかない。

また人口構成も華人(中国系)、マレー系、インド系など4人種の混成だったのだが、独立当初は各人種内で人間関係が完結しており、人種間の意思疎通に支障を来たしていた。そこでシンガポール政府は公用語を英語と決め、政府主導で時には厳しい罰則も含む強権を発動しながら、いろいろと実験的、戦略的な試みを取り入れて、国をまとめてきた。

そのおかげで、シンガポールはアジアの玄関口として世界中の人々との港湾貿易を中心に栄え、今では多くのハイテク企業が軒を連ね、アジアの金融、商品流通センターとして東京さえも凌駕するといわれるほどになっている。

集合は成田空港の北ウイングに朝9時ということなので、当日家を出ようとするとどう遅く見積もっても朝の6時ぐらいには家を出なければならない。ということは朝5時起きぐらいを余儀なくされるわけで、そんな苦行には到底耐えられそうもない。それに、成田に向かっている途中で電車が止まっちゃったり車が事故起こしたりしたら洒落にならないので、前日のうちにクルマで成田入りすることにした。

前日に成田の航空科学博物館など見学して頭を航空モード!に切り替えてから、ホテルで英気を養う。そのホテルも、一泊5000円弱で、14日間まではクルマをタダで停めておける。宿泊なしでクルマだけ近所の駐車場に置いたとしてもそのぐらいの値段するわけだから、この前日泊というアイディアはなかなかうまい手なんじゃないだろうか(ただし家族連れだと高くつくのだが)。

当日、空港でGSMの携帯電話をレンタルする。僕はFOMAの携帯電話ユーザーで、ドコモのWORLD WINGに入っているから、FOMA端末のSIMカードをレンタルしてきたGSM端末に差し替えると、シンガポールでそのGSM端末を使って電話をかけることができる。

集合場所は空港の団体待合室。ちょっと日本風味の部屋の中に、研修参加者29人と、旅行会社の男性、研修事務局の女性がいる。ひとしきり説明を受けたあと、旅行会社の男性を残して他の僕たち一行は出国手続きに向かう。

飛行機はシンガポール航空。「シンガポール・ガール」という独特のデザインのスチュワーデスの制服で有名である。国内の航空会社は既に「スチュワーデス」という呼称をやめ、「CA」とか「フライトアテンダント」などと言い換えているが、ここはまだ「スチュワーデス」と呼んでいる。その代わり、「スチュワード」という男性客室乗務員もほぼ同数そろえていた。だいたいシンガポーリアンが中心なのだが、日本人のスチュワーデスも2~3人用意されていた。

1130NRT-1725SIN
飛行時間は7時間ぐらい。長すぎず短すぎず、「旅をした~っ!」という実感が沸く程度の時間である。機内食は日本の洋食テイスト。シンガポール風を期待した僕はちょっと拍子抜け。カクテルはシンガポール・スリングをオーダーした。

それにしても、ここのスチュワーデスはサービスするときにもニコリともしないね。日本人スチュワーデスといえども例外じゃない。おまけにカートは座席にガンガンぶつけてくるわ、呼び止めても「ちょっとお待ちください!」と言ったきりプイッとどっかに行っちゃってなかなか来ないわ、まあ全日空みたいなサービスはもとより期待してなかったとはいっても、これはちょっとひどいなあ......。シンガポール航空はスッチーの制服以外にいいとこなしだった。

そうこうしているうちに、マレーシアの上空に到達。上空から見るマレーシアの畑。日本の段々畑とも違った独特の模様を描いていた。それから15分ぐらいすると、シンガポールのチャンギ空港に到着した。現地の気温は32度。降りると、7月の大阪のような蒸し暑さだった。

外国に降り立つと、街の"匂い"が日本にいるときと違うのに気づく。外国人が日本に入ると、「味噌の匂いがする」と言うらしい。以前アメリカに行ったときは、シナモンの香りが漂ったものだ。シンガポールの匂いは、日本のものともアメリカのものとも違う、独特の、スパイシーな香りがした。

Changi Airport

GSMの携帯電話の電源を入れてみる。「Searching...」という表示が数秒続いた後、現地の携帯キャリアの電波をつかんだ。そこから会社に「今着いたよ」コールを入れる。

空港で、現地ガイドのメイさんという女性と合流し、彼女の先導でホテル行きの貸切バス乗り場へと向かう。ほんの100メートルぐらいの距離だが、暑い。

バスは日本の観光バスと変わらない。三菱ふそう製だったが、フロントガラスに

「南無阿彌陀佛」

というステッカーが貼られていたご利益のおかげか、大きな事故もなく無事に乗っていくことができた。

道路は日本と同じ左側通行。走っている車はベンツがやたら多い。大きな実をたわわにつけたヤシやらマンゴーやらの木が街路樹になっているところ、さすがは熱帯の国という感じ。

今回の研修は1人で申し込んだので、参加者は知らない人ばかりで、自由時間はきっとずーっと単独行動なんだろうな~と思っていたら、以前仕事でからんだことのある、国際電話のプロダクトオーナーの部長さんがたまたま一緒だということがわかり、その人にくっついていくことにした。

「City HallのPan Pacific Hotelに旨い中華の店があるよ」ということなので、そこで落ち合うことにする。Orchardというところにあるホテルにチェックインして、部屋に。ホテルは日本の高級ホテル並み。アメリカみたいにベッドに枕3個並ぶほど広いわけではないが、それでもゴージャスであることには違いない。

さて、ホテルからPan Pacific Hotelまで行くのに、地下鉄で行ってもいいのだが、切符の買い方もよくわからんし、せいぜい2~3キロぐらいなので、歩いていくことにする。Orchard Roadというところを海岸方面に向かって歩いた。Orchard Roadは日本の表参道みたいな感じで、街を歩いている若者もアジア系。あんまり外国に来たという実感がわかない。日本にいるのとあんまり変わらない気がした。それでも、標識や案内表示は英語がメインで、外国人にとってもわかりやすい。

途中、あまりに蒸し暑くて喉が渇いたので、ジュースを売ってそうなスタンドバーに立ち寄る。肌の浅黒い、インド系かマレー系のオヤジさんが寄ってきて、「Are you Japanese?」と聞いてくる。「Yes.」と答えると、「Very good.」などと言ってくる。何がgoodなのか知らないが。それで、すすめられるまま缶ジュースを買った。1本S$2.50(175円)。どうやら物価は日本より高いみたい。

さてPan Pacificに着き、部長さんと落ち合って中華料理をいただく。味は日本のバーミヤンとあんまり変わらなかったが、塩味がハッキリしていて旨かった。帰りは怪しい足ツボマッサージの店に連れて行ってもらう。中国系のお姉さんに足の裏を揉まれたり叩かれたり。日本より荒っぽいんだが、気持ちよかった。1時間で約S$50(3500円)。日本より相場的にはるかに安かった。

店を出たときはもう夜の12時。それでも街は活気に満ち溢れていた。

6月14日~17日まで、シンガポールまで海外旅行出張のため不在になる予定。

罰金取られなぃよぅに気をつけねば……(汗)。

品川・六行会ホールで劇団Nom'bの公演を観る。
詳細はあとで書くことにする。

文字だけによる表現の世界で、自分の真意を相手に正確に伝えるためには、相当の文章力を必要とする。書き手に文章力があったとしても、読み手に読解力が不足していたり、あるいは書き手の意図を歪めて解釈したりすると、書き手の真意が正しく伝わらず、行き違いが生じる。一旦行き違いが生じてしまうと、その行き違いを修正するためにさらに百万言を費やさねばならなくなり、そのための文章力がさらに要求されるのである。

面と向かってはなかなか言えないことでも、簡単に書けてしまうのがネットの世界の最大のメリットでもある。しかし、忘れてはならないのが、文章を書くということは、相当難しいことだということだ。

その場の勢いで、ついつい激しい表現や配慮を欠いた言い方をしてしまう。そしてそれを推敲もせずにアップロードする。そして、それがフレームへと発展することになる。ましてや短時間でアップロードを要求されるチャットでは、なおさらだ。大人でもフレームになると分別を欠いた喧嘩になってしまって収拾がつかなくなってしまうのだから、問題解決能力の未熟な小学生同士の場合、極端な解を選択するということは、十分起こり得ることである。

ネットを使うということは、難しいことなのだ。

小学校の仲良し女の子2人組。それが、ネットの掲示板やチャットでのトラブルによって、片方の女の子が相手をカッターナイフで切りつけて殺害する事件が起きた。2人はそれぞれ自分のHPを持っていて、被害者の女の子のHPに、加害者の性格などについて悪く書かれたらしい。またリアル世界でも、被害者に自分の体重のことを茶化されたという。特にこのぐらいの年頃の女の子はそういったことに敏感であることに加え、仲良し組というものは一旦仲がこじれると憎さ百倍になるということもあって、加害者は被害者のその態度に立腹し、殺意を覚えたらしい。

被害者のほうは亡くなってしまったので加害者側の言い分しかわからないが、これだけを信じるなら、被害者のほうにも落ち度がないわけではない。が、それにしても、痛ましい事件であることには変わりはない。

さて、加害者のほうは殺害行為を実行するにあたって、TBSの「月曜ミステリー劇場」の手口を参考にしたらしい。ということは、今流行りの

T B S は 殺 人 幇 助 と い う こ と か (w

ねえ、京都府警さん(爆)。

遊機のホームページとブログをホストするサーバをロリポップからアメリカのDreamHostへ移転するプロジェクトがようやっと完了し、「夜伽草紙」もDreamHostのyuki.la上に移すことが出来た。

今まで「夜伽草紙」の作成用ブログツールとしてMovable Type(MT) 2.661を使っていたのだが、そのMTが先月3.0にバージョンアップされ、それとともにライセンス体系が大幅に変更された。2.661までは、個人が非商用目的で利用する場合には無料(寄付は歓迎されていたが)で、商用利用時にのみ有料でライセンスを得ることになっていた。3.0でも個人非商用利用は無料であることは変わらないが、その際は無料ライセンス版をダウンロードしなければならない。そして、この無料ライセンス版というのは、Authorが1人のみ、ブログは3個までという制限がついている。

ブログはこの1個きりしかないので問題ないのだが、Authorが1人だけしか登録できないというのが少し引っかかった。書くときはYukiという名前しか使っていないのでAuthorが1人でも別にかまわないのだが、moblogを使って携帯から投稿する場合にはもう1つアカウントが必要になってくるので、moblogを利用する必要が出てきたときに、Author数の制限が邪魔になってくる懸念があった。

無料ライセンス版はこのように制約がきつく、さりとて有料ライセンス版にしようとするとライセンス料が約US$60以上もして、個人で使うには決して安い値段ではない。このような不便を強いられるぐらいなら今までのMT2.661で十分なのだが、MTのサイトからはMT2.661のパッケージはキレイに消えていて、ダウンロードできなくなってしまっていた。

そのため、このたびのサーバ移転を機に、MT以外のブログツールを検討することにした。MT以外のツールにはbloxsomとかNucleusとかWordPressとか華式などいろいろあるが、Webなどで調べてみた結果、アメリカのサーバでも使え(RubyやPythonなど海外のサーバにインストールされてなさそうなのが必須のものは却下)、日本語化ツールや日本語の情報に恵まれており、日本人にとってとっつきやすそうなNucleusとWordPressの2つにしぼってみた。

いずれもPHPベースの動的生成型ツールで、MySQLを使ってデータベースを構築するものである。GNUのポリシーに則って作られているので、その利用は完全に無料だ。インストールもそれほど苦もなく、動作自体も速いのだが、なにしろ今までがMTを使ったブログしか知らないものだから、他のブログツールだとどうしても使い勝手が違い、違和感を感じてしまう。それに、動的生成型のブログはアクセスするたびにいちいちデータベースを呼び出してHTMLページをその場で作成するので、再構築の手間が省ける反面、サーバの調子が悪いとちゃんとHTMLを吐き出してくれなかったりする。

また、NucleusはMTからのインポートツールがないので、過去の資産をインポートするのが困難だという問題があり、そしてWordPressは日本語がEUC-JPベースになっていて、UTF-8で運用しようとすると少しやっかいだという欠点がある。

ということで、やっぱりMTを引き続き使うことにした。

MT3.0は少しだけGUIが変わっているのだが、違和感を感じるほどではない。ただ、再構築などの処理速度がこころもち重めになっているのは、慣れるまでストレスになるかもしれない。

今使っているのは日本語版の3.0beta版で、「一般にアクセス可能なサイトには使わないこと」というライセンス条件がある。つまりこのブログは思いっきりライセンス違反なのだが、まあ正式版が出るまでのつなぎということで、あまり大っぴらに宣伝せずひっそりと運営するということで大目に見てもらうことにしよう。

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