April 2004 アーカイブ

金原ひとみ「アッシュベイビー」読了。芥川賞作家の金原さんの2作目である。のっけから超過激な修辞とオゲレツな下ネタ用語が乱舞する。伏せ字にするでもなければ、オブラートで優しく包むでもない。その容赦のなさ、作中の表現を借りるならば、さながら読者のケツの穴にゴムなしでチンコをぶちこんで滅茶苦茶に引っ掻き回しているかのようである。レズ、乳児強姦、はては獣姦……「蛇にピアス」など遥かに上回る激烈ぶりに暫し眩暈を感じる。

15年ほど前、「赤痢」という京都の女性4人組のインディーズバンドがあった。そのブッ飛んだバンド名もさることながら、歌い方も凄まじく、ドラムスを乱打しながら放送禁止用語をひたすら連呼するといったものだった。まさしく、「赤痢」の歌を思わせるような「アッシュベイビー」。ストレスのたまっている時に読めば痛快かもしれない。

そうかと思えば、会話文の「」の中を全角22文字で揃え、それを1ページ14行にわたって連続させるといった小技も披露している。ちょっとした遊びのつもりなのだろうが、行末が揃ったページがぽっと現れると「おおー」と感動させられる。言葉を操る作家としてのアピールが、そこにある。

人に対して心を開くことの出来ないキャバクラ嬢、アヤは、ガキが大嫌い。近所の小学生を見ると、殺意を覚えるほどである。そんなアヤと同居している男、ホクトは、ある日、親戚の子供である女の赤ん坊を引き取ってきて、夜ごと陵辱を始める。アヤは、無垢な赤ん坊を見て、ふと殺意が沸いてくる。しかし、その殺意は、実は自分自身に向けられたものであることに気づく。その赤ん坊は、実は自分自身の投影だったのである。

そんな中、アヤは、勤め先でホクトの同僚である村野さんという男性に出会い、一目惚れする。しかし村野さんはつかみどころがなく、アヤの気持ちに気づいているのかいないのかわからない。アヤは、村野さんに対する想いをどんどん募らせていき、果ては彼の手で殺してもらいたいとまで考えるようになる。ホクトに陵辱されている赤ん坊のように……。

村野さんとセックスをし、籍まで入れたものの、殺してもらえるどころか、二人の距離さえ縮まらない始末。アヤは自暴自棄になり、衝動的に近所の鶏を捕まえて頸をへし折ったり、ウサギの耳をちぎったり、勤め先の同僚ホステスをボコボコにぶちのめしたり、見舞いに来た仲間にまで罵声をぶつけたりして、どんどん破滅していく。

僕は、ふと新選組の芹沢鴨を思った。彼は一度死罪を覚悟して入獄したものの、許され娑婆に戻った。そのあとは死に場所を求めて日々無頼な人生を過ごし、新選組に身を投じたあとも放蕩三昧の生活を送り、最後には近藤勇らに殺されてしまったのだが、死を志向する者が衝動的な破壊行動に走ってしまうということは、ありうることなのだと思った。

将来に希望をもてない若い人たちの願望は、破滅と死しかないのか。アヤの悲痛な叫びが痛々しく心に突き刺さる。だが、どうすることもできないのが現実なのだ。

すべてを失ったアヤは、身ひとつで村野さんのマンションにたどり着く。村野さんはシャワーを浴びに行き、リビングに独りぽつんと残される。村野さんの姿が目の前から消え、それとともに、アヤの心は灰となって燃え尽きた。その姿は、あの赤ん坊そのものだった。愛も死も懊悩も何も認知できない、何もない世界、否、これらを超越した高いステージの世界へと解き放たれたと考えるべきなのかもしれない。

作品は、文の途中でぶつ切りになった状態で終わっている。その続きがどう綴られるのかは、読者一人一人にゆだねられている。

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HDDレコーダーに録画していたTBS月曜ミステリー「浅見光彦シリーズ 長崎殺人事件」を見る。先週のフジ「ユタが愛した探偵」とのガチンコ勝負。その勝負の行方は……

浅見光彦の演技:沢村一樹の演技は安定し、榎木孝明に次いで浅見光彦のイメージに近かった。 → TBSの勝ち

ヒロインの演技:宝生舞はセリフの棒読み調子が気になった。知念里奈は出身がドラマの舞台と同じ沖縄だっただけに、キャラを上手に演じ切れていた。 → フジの勝ち

ストーリー:フジは前作「しまなみ海道」ほどではないにせよセリフの語尾途中省略が気になった。また原作を2時間に押し込めようとするあまりセリフとセリフの間が異様に短く駆け足で物語が展開していく印象だった。その点TBSのほうは演出も自然でセリフにも適度な間があった。ラストシーンは、フジのほうが心を搏つ演出だった。 → 引き分け

ということで、総合結果は引き分け。 

イラクで人質として約1週間拘束されていたカメラマン、ボランティア、フリーライターの3人が、昨日無事に解放されたというニュースが入った。拘束当初は目隠しをされ、後ろから銃を突きつけられているショッキングな映像が流されたために日本中がやきもきさせられたが、あれは犯人グループが政府を効果的に脅すために演出しただけのようで、実際には民家を転々としてホテル暮らしよろしく厚遇されていたそうだ。

この事件は自衛隊をイラクから撤退させるために人質たちが自作自演したものだ、などという説もまことしやかにささやかれるほどだ。“人質”たちが常日頃から自衛隊イラク派遣反対を唱えていたこと、ボランティア&フリーライターが所属していたNPO団体が筋金入りの極左組織で、朝鮮労働党の下部組織とのつながりまで噂されていること、彼らが拘束され目隠しをされていたとき、犯人と身振りで会話するなど余裕の態度を見せていたこと、“人質”の家族たち(特にボランティア&フリーライターの兄弟姉妹たち)が東京での会見で事あるごとに自衛隊撤退を電波ゆんゆんで訴えていたこと、解放時に“人質”たちの顔に無精ヒゲひとつなくキレイに剃られていたこと、などなどの事実がそれを裏付けていると、この説の支持者は主張している。真実はどうあれ、ともかく今は3人とも命が助かったことだけを喜びたい。

政府の退避勧告を無視して丸裸で危険地域に飛び込んでテロリストに捕まって日本中を騒がせ、あげくの果てに救出に何十億円も国民の血税を使わせた三馬鹿トリオがこれからみっちりと油を絞られるのは当然のことだが、気になるのは、これを機に、政府が出している退避勧告に法的強制力をもたせ、特定地域への渡航を禁止する法規制を加えようという動きがあることだ。このように、一部に馬鹿が出ると、「何度言っても国民は思い通りにならない。全体的に法の網をかぶせて規制してしまえ」という発想に陥り、くだらない規則が増えていく。

一部の人間の不行跡のせいで全体に規制を加えるのは日本のお上の典型的なパターンだが、そろそろこんな発想はやめにしてはどうか。一人前の大人の行動までいちいち規制するのは余計なお世話というものである。政府自身も、一般人のイラクへの入国は「自己責任」だと言っているではないか。危険地帯に足を踏み入れて、そこで命を落としたとしたら、それは自分が悪い。ソマリアやリベリアの戦場の従軍カメラマンだってそうじゃないか。イラクだけ例外的に取締りを強化しようとするのは、その裏に怪しげな政治的意図が見え隠れしていると勘ぐりたくなる。

新聞がこぞって彼らを批判しているのも疑問だ。自社の報道記者を引き揚げさせ、フリーのカメラマンや記者に情報を頼っているのは、ほかならぬ自分たちではないのか。敢えて自らの危険を顧みず取材しに行った彼らから情報を買って記事を作っている報道メディアに、彼らを非難する資格があるのか。

あと、人質の家族の会見での態度を批判するだけならともかく、中傷電話や脅迫状が多数舞い込んだことも、日本人の民度の低さを示しているようで残念だ。確かに今回の人質たちの行動は軽率だったかもしれないが、少ない情報の中その安否を気遣ってナーバスになっている家族たちを叩くような行為は、厳に慎みたい。若い弟妹たちの感情的な発言に不快感を抱いたことがあったのは確かだが、「死ね」などと書いてよこしたり、仏具の「チーン」という音だけの電話をかけられなければならないいわれがどこにあろう。

今この時期にイラクに行こうとすることは、「不倫」と同じようなものだと考えるとわかりやすい。つまり、周りに迷惑をかけることも折り込み済みで自分で全責任が取れるのであれば、勝手にやって構わない。それができないのならするな、ということだ。そしてそれによってトラブルに巻き込まれたとしても、国は助けてやる必要などない。もともと国のアドバイスなど聞かずに行動した人がたとえ政府によって助けられても、関係者の不眠不休の奔走に感謝するどころか、傍迷惑なことをされたぐらいにしか思っていないのだから。

全60巻の長編漫画「三国志」で知られる漫画家の横山光輝さんが、自宅の火事のため亡くなった。69歳。

「三国志」で有名なこの方だが、「鉄人28号」や「魔法使いサリー」「バビル2世」も描いていたとは知らなかった。

ここ1ヶ月ほどの間で、有名な方々が相次いで亡くなっている。ここまで連鎖的だと、単なる偶然を超えた何らかの外部的な〈力〉の作用を感じざるを得ない。

作家の鷺沢萠さんが急死。35歳。当初は「心不全」と報じられていたが、自宅で首を吊って自殺とのこと。予想通りというべきか。

以前にも書いたことがあるが、物書きというのは自殺が多い職業だそうである。執筆というのは特に神経を最大限に集中させる作業で、長編の小説などを書いていると、長期間にわたって緊張を強いられるため、書き終わったあともその緊張状態が解けず、精神的なバランスを崩してしまう。そしてそれを強制的に鎮めるために、酒に頼ったり、クスリを飲んだりする。そうすると余計に体調を悪くする。この悪循環である。

公式ホームページには彼女自身の日記があり、約1週間前まで書かれていた。最近は風邪がなかなか治らず、それについての愚痴めいたことが書き綴られていたようだ。独り暮らしをしている人が風邪などひいて身体が辛いときは、だんだん気力も萎えていき、このまま楽になれたらなあ……などとつい考えてしまうものである。彼女も体調を崩し、ふと生きるのが厭になったのだろうか。

彼女は学生時代に鮮烈なデビューを飾り、芥川賞こそ取れなかったが、〈美人作家〉としてずいぶん鳴らしたそうだ。そして若くして結婚し、数年で離婚。そのあとは鳴かず飛ばず。祖母が韓国系であることが後に判明したあと、母なる国韓国をテーマにした作品を何作か出したものの、あまりパッとすることはなかった。〈美人作家〉というイメージ先行で売り出され、旬を過ぎると見事に使い捨てられてしまった典型のように思えた。

今年も若い女性2人が芥川賞を取って話題になったが、どうかこのようにならないでもらいたい。そう思いながら、今日発売の金原ひとみ「アッシュベイビー」を買って帰った。

フジ「金曜エンタテイメント 浅見光彦シリーズ ユタが愛した探偵」を見る。中村俊介の浅見光彦5作目。

劇団出身者ではない中村俊介の演技は相変わらず見るところがなかったが、ストーリー的には3週間前の「しまなみ……」に比べれば遥かに良い。ヒロインと浅見の最後の別れのシーンが心に余韻を残させる。

来週の月曜日はTBSが「浅見光彦シリーズ 長崎殺人事件」をガチンコでぶつけてくる。浅見対決一本勝負、どちらに軍配が上がるだろうか。

今月から、消費税の総額表示が始まった。物品の価格を表示するとき、これまでは税込み価格、税抜き価格どちらの形で表示してもよかったのだが、今月からは必ず税込み価格を表示しなければならなくなったのである。

消費税が導入されてから今年で16年目。導入当初は消費者を中心にかなりの反発があったものだが、最初から総額表示にしておけば消費者の反発もあんまりなかったのではないかと思うのだが。国も頭悪いナ。

3月29日から始まった朝の連続テレビ小説「天花」。出だしからいきなり大不評のドラマで、僕もとりあえず1週間ぐらいは我慢して見てみたのだが、やはりついていけなかった。

ヒロインの藤澤恵麻の演技が宇宙企画のビデオの導入部レベルなのは、新人女性の登竜門という朝ドラの位置づけ上、まあ大目に見るとしよう(それにしたって、雑誌モデルというだけでろくに演技経験もない人を主役に据えるというのもどうかと思うが)。問題は脚本だ。時系列が滅茶苦茶で視聴者は混乱するとはいうわ、戦時中の描き方にしたって時代考証が杜撰とはいうわ、登場人物の出し方も不自然だしセリフは寒いし、どこをとってもいいことなしである。演出も問題だ。ライティングがまずいので昼か夜か不明瞭だったりするし、稲刈りの季節なのに稲が青々としていたり、とにかく作りが雑すぎるのである。

片平なぎさ、竹中直人、香川照之、財津一郎など、脇にはいい役者を揃えているものの、それらを十分使い切れていない。ヒロインの〈顔だけで〉もっているドラマといっていい。音楽だけはかろうじて聴くに堪えると思っているので、それならいっそのことドラマはやめて、ヒロインとBGMだけでプロモーションビデオでも15分流してはどうだろうか。宇宙企画かKUKIが制作で、藤澤恵麻と市川実日子あたりを出演させる、というのも個人的に可だ。

人は、良いモノだけを見るようにしなければならない。悪いモノを見ると審美眼が狂ってしまう。ドラマにしても、名作だけを見るべきであり、腐ったドラマなど見てはならないのである。

ということで、来週から僕はこのドラマは見ないことにする。

今日から営団地下鉄が民営化され「東京メトロ」という名前に変わった。営団の「S」マークが一斉に東京メトロのハートのMマークにガラッと模様替えされた。この丸っこいハートMマークは個人的になんだかな~と思うのだが、丸みを帯びたデザインのほうが日本人にはウケるのだろう。

営団を思わせる表示はすべて東京メトロの表示に変えられたはずなのだが、都営地下鉄と連絡する駅で、都営地下鉄が管理する駅の場合、表示がいまだに営団のマークが残っていたりするのがほほえましい。

有楽町線の「営団赤塚」「営団成増」駅はそれぞれ「地下鉄赤塚」「地下鉄成増」駅に変わった。

この「メトロ」という呼び名、フランスのパリの地下鉄の真似をしたそうだが、実は地下鉄のことをメトロと呼ぶ地域はかなり多い。われわれは通常、地下鉄を意味する英語は「Subway」だと信じ込まされているが、地下鉄のことをSubwayと呼ぶのはニューヨークぐらいで、同じアメリカでもワシントンDCなどの地下鉄は「Metro」と呼んでいる。そのほかに地下鉄をMetroと呼んでいる地域は

ロサンゼルス(アメリカ)、パリ(フランス)、サンチアゴ(チリ)、メキシコシティ(メキシコ)、アテネ(ギリシャ)、プラハ(チェコ)、バルセロナ(スペイン)、モスクワ(ロシア)、アントワープ(ベルギー)、ブリュッセル(ベルギー)、デリー(インド)

などなど、まだまだあるのではないだろうか。実は、メトロという言い方のほうがグローバル・スタンダードだったりするのかもしれない。

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